科学の急速な進展によって我々の知性では解決できない事象が数多く
顔を出す時代になってきた。体の痛いところにはすぐ手が届くように、
進展極まりない科学の成長過程の中では、我々が聖書に急接近するチ
ャンスがあるのかもしれない。科学と宗教は別の世界と考え易いけれ
ども、万物は神の御手により創られたもの。我々はその存在している
形象を紐解いては喜んでいるのかとも思う。
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最近発表された興味あるものの1つに、カリフォルニア大学ロサンゼル校
(UCLA)のスティーブ・コール教授(Steve W Cole,Ph.D.)の研究がある。この研究に刺激・影響を受けて行われた148の研究(対象者およそ30万人)をメタ解析(Meta-Analysis)(複数の研究の結果を統合し、より高い見地から分析すること、またはそのための手法や統計解析のこと(Wikipedia))を実施した結果、健康長寿、筋肉、血管を強化する力が最も大きいのは、意外にも”人との繋がり”や”人への親切”であると言うことである。
これらの結果は、今まで注目されてきた健康長寿の方法である、食事療法、肥満解消、運動や禁煙等からすると意外なものである。しかし、スティーブの研究への信頼性は高く、お互いに繋がりのない孤独者の多いイギリスでは、スティーブ等の研究の影響もあり、実際に孤独担当大臣(Ministry
of Loneliness)が誕生した(2018年1月18日新設)。
ステイ―ブ等の研究では
、人に親切な行動を1日に3回、1ヶ月間行った人は体内の炎症を促す遺伝子の発現を抑える事が出来るだけでなく、脳内構造までもが変化すると発表されている。即ち人と関わる事、親切にする事によって、健康長寿に大きな影響を及ぼすというものであった。
これまでの常識として、健康長寿を達成するためには運動をする、健康的な食事をする、肥満解消に努める、禁煙をする等、自分自身の体に働きかけるものであった。
それとは対照的に、ステイ―ブ等の研究は、他の人への働きかけ、即ち‟人に親切にする””人の輪に加わる”こと等を通して自分自身の筋肉・血管を強くし、免疫力を高めるというものである。他の言葉で表現すると、人への働きかけを通して得る心の幸福が直接、体の健康へと繋がるという考え方である。今までの健康長寿への達成手段とは大きく異っている。
(ガッテン2018年6月6日放送及びその中の文献)
最近、遺伝子研究を代表に、科学の異常な発展によって、この様な領域にまで人間が踏み込んで良いのか? 神の領域ではないのか?等の多くの議論を呼んでいる。
例えば、遺伝子組換によって癌細胞に関与する遺伝子の部分を取り去り、永久に癌を除去する等、神によるプログラムを永遠に、また、完全に消し去ってしまって良いものかどうかというのは、誰にも解らない。この様な神によって計画されたプログラムと,最先端科学は一線を画して接するようになってしまってきている。今からの行く末を案じる時、我々の知性はもはや解決策を与えてはくれないようである。だからこそ、我々の内なる世界、心、その拠り所である宗教が大きな役割を果たすであろうと言われるのも頷ける。
長谷寺 良縁地蔵 (大串昭子 撮影) |
人に親切にするという“親切”の更に奥深い言葉は“愛”である。キリスト教を例にとってみよう。キリスト教をひと言で言えば “神は愛である”(第1ヨハネ4章8節)という聖句で表わされる。
そして、聖書の中では愛は二種類の愛に分けられている。
1つ目はフィレオー(filia)の愛である。
それは肉親の愛であり親子、兄弟、男女の間での愛である。これは低位の愛に属する。
2つ目はアガペー(agape)の愛と呼ばれている。
それは全く私心の無い愛、無私の愛・無償の愛である。あえて人に親切を行う想いも、このアガペーの愛に含ませておこう。それは下記の聖句の中に含まれいるからである。
“愛は寛容であり、親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。........ (第一コリント13章4-8節)”
信仰とは信じきって仰ぐ事であると言われている。‟見ずして信じる者は幸いである”(ヨハネによる福音書20章19-20節)。しかしその様な聖句を見ても信じきる人は中々いない。 聖書の中に‟汝の敵を愛せよ”という句がある。しかし我々は、言葉ではこの句を理解しても、なかなか実行はできないのである。それはきっと、上記の聖句を実行してもその結果に関しては何も触れられていないからではないかと思う。
しかし、スティーブの結果を借りて次元を下げて言い換えれば、「“親切“にしなさい(敵を愛しなさい)」、「その結果、あなたは恵を与えられる。」と解釈できる。つまり、人に“親切”にすれば,遺伝子は変わり、脳内構造までも変化して、あなたの健康長寿は守られますよという事が科学的な結論として代弁されるのである。神が創造された遺伝子が、私達の日常の行為、‟人に親切”にする事で変化し、その結果、脳内構造を変化させて行くのを見るまでになって来たということである
神に祈るということが如何に大きな恵を与えてくれるものかという事を信じたい。
何故か? 神への祈りは ‟心を尽くし精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、あなたの神である主を愛しなさい”(マタイ伝、22章34-40節)と表され、これは“親切心”より遥かに深い思いである。 特に大きな壁に思える ‟汝の
敵を愛せよ”という聖句は、そうする事で、その人への大きな福音に繋がる言葉であると考えても良いのではないか。
マタイによる福音書5章には ‟右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ”とある。聖書には、この様な命令系の聖句が多い。 凡人には成し難い聖句である。しかし今、この時代に試みるべき(?)聖句であるように思える。
魂がコンバージョン(転換)し、常に神の思いを帯して歩ける者である為の一つの方法として ‟大悪は大善也”という禅宗の言葉もある。 是非達したい境地である。人の為に祈れ、神に祈れ。その祈りはあなた自身に帰ってくる。至って実利的ではあるが、ただこの事を信じるだけで、あなたの周りは豊かな恵みに満たされる。
今まで聖書の世界を、科学的言葉で解釈する事は不遜であるとされてきた。しかし今は我々が切実に神の世界を望み仰ぐべき時代であるのではないか。少々不遜であっても、この際、許して貰う事とする。
人類は1万5950発の原爆・水爆を抱えている(ストックホルム国際研究所べ)。地球上を焼野ヶ原にし兼ねない量であるが、我々はその処置方を知らない。所有国首脳の一言一句に肝を冷やしながら暮らさなければならない。また、最先端の科学技術(遺伝子を含む)は、生命を異常な世界に導きかねない状態である。
とても気がかりである。