2013年6月14日金曜日

挑戦 (7)


私の忘れられない人に、京谷好泰先生がおいでになる。宮崎においでになった時はよく

昼食にお供させて頂いた。 先生の旺盛なチャレンジ精神と、夢みたいな事にあそこまで

挑戦されたという事に驚き、大変感銘深いのである。

ぽつぽつお話頂いた言葉を断片的に書いてみる事とする。

例えば、鉄道総合研究所のひろばで、1メートルにも満たないリニアモーターカーを走らせていらっしゃるのを窓からその光景を見ていた職員が、「車がついてない列車は、汽車とは

言えない」と皮肉られたとも言っていられた。 宮崎県美々津に試験線が構築されたのは、

少なくとも7キロメートルの間に在来線と平行して試験線に使用できる敷地が必要であった。 

それで日本国中、北海道から九州まで探して歩き, 結局、宮崎県美々津だけが条件を満たす所だった。

現在 颯爽としたリニアモーターカーの姿を見、東京ー名古屋を700キロの速度で走行する事が期待できる時に至った。


太宰府天満宮の菖蒲    (大串 昭子 撮影)



夢を描き精神病院にまで入院させられそうになった先生の希望は砕けず、今日に至っている。

米国の国立ブルックヘブン研究所でリニアモーターカーの最初の提案者二人が、美々津の

リニアモーターカーを見てこう言う事なら特許を申請しておくべきだったとつぶやいたとか(?)

多額の予算を物ともせず、一生を夢を追い続けられた先生に畏敬の念を禁じえないのである。

私にも子供達、孫達に伝えるために、私の墓碑銘には ”夢” そして聖書の一句をもらい

”叩けよ、さらば開かれん”と記している。

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